雪解けの雨。

 



  今年は早い時期から殊の外の厳冬となり、雪の害も多く聞かれて。都心でも何度も昼間っから吹雪いたほどに、そりゃあ寒かった冬だった。前の年が、年越しまでは暖冬だったのでと油断をしていたら、今年はクリスマス寒波どころか、もっと早くからいきなり冷え込んで。…だってのに。いつもは必ず2度3度と引く風邪を、この何年かと同じよに、今年もやっぱり引かずに済んだのは。機動力があって燃焼効率のいい、強かに鍛えられた体になったからだろう。
「…おう、セナじゃねぇか。」
 講義室のある棟から出て、朝からの雨がまだ降り止まないのへ雷門くんと二人“はぁ〜あ”と溜息混じりに眺めやり。スカジャンを羽織った肩を心持ちすくめつつ、遊歩道のようになってる道なりに、部室のあるクラブハウスまでをゆく道すがら。氷雨の湿気に満たされた空気の中、鼻の頭を赤くして通りかかったのは、構内にある生協前。かけられた声へ顔を上げ、庇の下に知ってるお顔が何人かいるのを見やって会釈を向ければ、
「ほれ、お前の分。」
「え?」
 普通に吐く息よりもほわほわと盛んな湯気を上げている、大きな肉まんを“ほれ”と差し出してくれる。こっちの姿を見て、二人の分も買っといてくれたらしい。わあ、おごり? 馬鹿言え、消費税はまけといてやるから、ほれ100円出しな。あはははと笑いつつの応酬の後、歩きながらのおやつは少々お行儀が悪いが、そのまま歩き出す彼らであり、

  ――― 遠藤のドイツ語、いきなり範囲広げやがってよ。
       あ。黒木くん、ドイツ語取ってたんだ。
       まあな。大体、何でまた英語と も1つなんて外国語が要んだよな。
       まったくだ。
       外国語が要る奴ぁ、駅前へ行け、駅前へ。

 往来でそういう強気な不平不満を堂々と口に出来るところは、雷門くんまでもが十文字くんや黒崎くんと同んなじなので。ついつい“あはは…”とどっちつかずの苦笑をしてしまうセナだけが、まだちょっと腰の引けた態度になってしまうのも相変わらず。
“でも、これでも随分マシになったもんだよね。”
 昔はあのね? まもり姉ちゃんがいつもいつも気遣ってくれてたこと。いじめっ子とか苦手なことからの、傘になり垣根になって守ってくれてて、それへ甘えて…怖いのや痛いのからは自身も逃げてばっかでいたけれど。今は…対等なお友達がそりゃあ気安く肩をどやしつけてくれる。腰が引けてると“何だよ、何怖がってんだよ”と、それって俺らに失礼だぞと、そういう方向で叱ってくれる。

  「雨が続くと、ジム練ばっかになっから、な〜んかやるせねぇよな。」
  「お。何だ、カズ。“練習の鬼”発言か?」
  「うっせぇなっ。セナとかサルも、走りの練習になんねぇだろがよ。」
  「サルってのは いい加減やめろ。」

 それもまたいつもの反駁、モン太くんの憤慨をスルーして。なあと傍らの少し上から、十文字くんにお顔を覗き込まれて。あはは・そうだよねなんて、当たり障りのないお返事をしたらばね? そういうのを返すと、すぐに判っちゃうらしくって。
「〜〜〜〜〜。」
 目許と口許、同じくらいのへの字にして。どこか微妙なお顔をしてから、大きい手のひらが降りて来て、何にも言わずに髪をもしゃもしゃ掻き回されて。はやや〜〜〜っ////// て、何すんのーって拳を上げて返すとやっと、あっはっはって笑ってくれる。手荒な応酬へ全然ビクビクなんてしないままに振る舞える。こんな楽しいのって、中学までのボクには想像だって出来なかったこと。

  “うんうんvv

 勿論、とんとん拍子で勝手にそうと運んだ訳じゃあなくて。やっぱり大変なことが一杯、向かう先へと立ちはだかってもくれたけど。それよりずっと怖い蛭魔さんが、尻込みや後ずさりを許してくれなかったってのと、仲間と一緒に何かを目指すってことの楽しさや充実感、何にもやらない内から諦めるより、やってみてからと構えることで体感する“達成感”の爽快さ。こっちは栗田さんから教わった、前向きな“楽しい”についつい惹かれて。気がついたら、結構強気の、諦めない子になれてたボクで。
「…そうそう。セナ、今日は蛭魔見ねぇけど、何か聞いてねぇか?」
「んと、ボクも見てないよ?」
 後期の試験やそれに代替するレポートの提出もそろそろ終わる。高校生たちの大学への入試があったりする関係から、年明けからの講義なんてものは殆ど無いも同然なままに、試験期間へと突入しており、その間は…週に1度の総合練習以外は、めいめいで基礎トレを欠かさないことと。悪魔のようなあの主将さんから、努々怠るべからずと言い渡されてた、ここR大のアメフト部員たちだったりした訳で。特に監視されてることでもないながら、それでも。そんなに大きな大学でなし、相変わらずにド派手な姿と言動の人でもあるしで、来ればどこかでその姿は見かけたものが、今日は誰も彼の姿を見ていないらしく、
「どっかの大学へのスカウティングかね。」
「でもなぁ。今時分に偵察に行っても、新規の陣営とかは どっこもまだまだ固まっちゃあいねぇだろによ。」
 いずこも同じ秋の夕暮れってやつですか。………いや、春まだ浅きな時期だってのは判ってますってば。
(苦笑)
“珍しいなぁ。”
 それでなくとも今日は、試験の日程の関係で一回生全員が来合わせてる日だってのに。登校したらば、用が無くともクラブハウスへと集まる面々。やはり上級生の姿は無いぞと、顔を見合わせたものの、とはいえ“集合日”という指定があった訳でなし。それ以上の詮索はせぬまま、動きやすい格好へと着替えた端から、まだ試験期間中だからと使う人もない体育館まで、屋根のあるコンクリートの渡り回廊へと出てゆく彼らで。やっぱり吐息が白くなるのが、通路わきの常緑の茂みに殊の外 映えて見え。まだまだ寒いんだよなというこの時期の決まり文句をついつい口へと上らせる、そんな放課後のひとコマを、さあさあという雨の音が縁取っておりました。






            ◇



 翌日はもう試験もなかったセナだったので、自然とガッコはお休みで。それでそれで、あのあのね…? ////////

  「蛭魔なら、王城に来ていたぞ?」
  「え? 昨日ですか?」

 今日もまたぞろ、どこかしょぼしょぼと降り続く冬の雨。空の色はまだ何とか明るい方だが、それでも掴みどころのないグレー一色で。朝起きた時は“あ〜あ”なんて言ってたセナくんだったのだけれども…vv 小早川さんチのリビングのソファーには、そんな憂鬱を一気に払ってくれた人。ネルのシャツに重ねた深色のセーターと、同系色のジーンズという、ずんと砕けた恰好の進さんが、そんな風にお声を返して下さったのへ。小ぶりなトレイへ、濃紺と濃栗色と、湯気をたたえた2つのマグカップを載せて戻って来たセナが、あららと意外そうな声を出す。隣町のU大F学舎の構内で、やはりアメフト部の春の合宿中だという進清十郎さん。合宿中…とはいえ、そちらさんもまた、試験とそれから入試とが重なってる時期だから。トレーニングの方もセナたち同様の自主トレモード。しかもしかもこのところの雨と来て…。いえ、そのくらいでめげたり“変化がほしい”などと言い出したりするような、そんななまら甘えたことを言うような お不動様ではないのですが。
(こらこら) ふと思いついての雨中ジョギングの“折り返し地点”を、久し振りに“隣町”へと設定するところは、なかなかどうして余裕というか…うふふvvというか。試験中だったのでと気を遣い合い、逢うどころかお声も聞けなかったのを埋めようと、わざわざお運び下さったので、こちらさんも何だか気が滅入っていたものが一気に弾んでるところが現金なもの。雨に濡れちゃった進さんへのお着替えを出し、お茶の用意をしつつ、ここ最近のお話を…新学期に入ってすぐにも始まった試験もやっと終わりましたなどなどと語って聞かせていたセナくんだったのだが、それが昨日の段にまで至ったところが、そんな心当たりを返して下さったという訳で、
「王城って…何か意外ですよね。」
 蛭魔さんもまた、セナと同じで泥門高校の卒業生なのに。何でまた、進さんや桜庭さんのいらした王城の方へ? 低めのテーブルへ、コーヒーとココアをそれぞれに満たしたカップを置いて、そのまま…進さんの傍らへと腰を下ろせば。大きな手で持ち上げられたマグカップへと、自然な所作として伏し目がちになるその横顔の精悍さが間近になるのへ、ついつい眸がいくセナくんだったりし。
“〜〜〜〜〜。////////
 彫の深い面差しは、端正にして静謐で。けれど、試合モードに入っちゃうと、たちまち静かな炎に覆われる人。手加減とか妥協とかって言葉を知らず、セナも何度となくフィールドへ叩きつけられたもんだったりし、
“だってそれは、真っ向から当たり合うポジションですから…。”
 むしろ遠慮してどうしますかと、誰へともなくの言い訳をしつつ、そんな凄い人がすぐ傍らにおいでなのに、これもやっぱり試合中じゃあないからのこと。大好きな人の何とも男らしい佇まいへ、ほややんと見惚れてしまう韋駄天くんだったりし。
「? 小早川?」
「…っ! あっ、はははいっ!」
 えとえっと、何のお話だったでしょう、あ、そうそう。蛭魔さんでしたよね? なんで王城にいらしてたんだろ、えっとえっと…。シャボン玉が弾けたみたいな勢いで、我に返ってその直前までの空隙を埋めようとする焦り具合も相変わらず。焦るあまりに、ソファーの上へ、ちょこりと正座しちゃってるところがまた、相変わらずで。それが萎縮してのことではないと、すっかり馴れて、判っている進さんだから、あのね?

  「…………。」

 くすすと。唇の端にて、小さく小さく笑って下さる。それから、
「…っ。/////////
 そうまで、抱えやすいよう小さくまとまってくれているのならばということか。長い腕を背中と前とにスルリと回しての挟み撃ち。小さなセナくんをきゅうと捕まえるようにして、引き寄せながら抱きしめてくれるのが…ドキドキするけどやっぱり嬉しいセナくんだそうでvv

  「もしかして王城へは、
   スカウティングじゃなくスカウトに行ってた蛭魔さんなのかもですね。
  「スカウト?」
  「はい。」

 有望な人に目串を刺してて、ウチを受けなってお誘いしてたのかも。こんな時期でも、あのあの、すべり込みで入学してもらえるような手筈は、あの…。

  「そうだな。あの蛭魔ならそのくらいのお膳立て、仕立ててしまいかねぬしな。」

 それだけ付き合いが長いせいでしょうか、進さんも随分と、あの悪魔さんがフィールド外ではどういう人なのかに慣れて来た模様であり、
「進さんはどうして王城に?」
「うむ。3年の登校日だったのでな。ウチの大学へ来る予定になっている何人かへ、監督からの練習メニューを届けがてら、練習をつけにな。」
 わ〜、いいなぁ。進さんに練習相手になってもらえるんですね。何が羨ましいって、そんな特典があるんだから、王城の子って得だなぁ、なんて。手放しで…妙なことを羨ましがってるセナくんだったが、身を乗り出すよにしての“いいなあ”発言の、何とも愛らしい甘えた声音には。さしものお不動様も、
「〜〜〜〜〜。////////
 何とも微妙なお顔をしてたり。
(苦笑) そですよねぇ。こうやって甘えかかれる恋人さんとしての“特典”は、眼中にないセナくんなのでしょうか。そうまでアメフトお馬鹿さんだったとはと、そうと思っての苦笑をした進さんで。………選りにも選って、この人からそう思われていては世話がない。(笑) ? 何か可笑しいですか? いや、大したことではないのだが。珍しくも誤魔化した進さんが、マグカップの代わりにテーブルから手に取ったのは、セナの母上が編集スタッフの一角に名を連ねている、いつもの分厚いグラフ雑誌。冬と春の狭間の号はつい先日出たばかりで、適当に開いたページには、澄み切った青空を背景にした、いかにも年代物という風情の古民家と里山の風景。茅葺き屋根にはまだ分厚い雪が白々と乗っており、よほどに凍った時節に撮ったものなのかなと、感慨深げなお顔を少々引き締めた進さんだったのだけれども。そんなお顔の彼が、大変だなぁなんて思っているところ、視野の中へと小さな手が伸び、紙面の一角を“これ”と指差して見せる。
「屋根の庇から下がるツララはね、今時分だと、雪が溶けるから出来る、春が間近いことを知らせる合図なんですって。」
 セナにも、あのね? こんなにも冷たそうなもの、寒い象徴としか思えなかった。でもね、ツララというのは水が凍らねば出来ない代物。例えば無人だった家に家人が帰って来ての暖房で、昨日まではなかったツララが軒に下がり、それを見ることで周囲の人にも、わざわざ雪の中を訪ねずとも帰還が判るというような話もあるのだとかで。慣れてる人には春の兆しだと分かるのよと、母が何かの折に話してくれたのは、果たしていつだったかな。屋根の根雪の雪解け水が、とりあえず雪の一番下まで沈み、ぽたりぽたりと滴り落ちていたところ、朝の冷え込みなどで凍り直した証しだから。そうなんですってと説明すると、
「そうか。」
 うんうんと感慨深げに頷く仁王様だったりし。小早川は何でも知っているのだな。ええっと、これはお母さんからの受け売りですよう。/////// 相変わらずなやりとりだけれど、あのね? 進さんの手元を覗き込むのに、脇から身を乗り出すようにしていたセナくんのこと。そちらさんからも、さりげなく抱き寄せていた大きな手だったり。潤みの強い大きな眸と、凛と冴えつつも今日はどこか柔らかな和みをたたえた眼差しとが、言い合わせることもなく視線を合わせれば、あのねあのね? 怯えてなんかないよ、睨んでなんかないよ。ちゃんとお互いに判っているからねvv 軽々と抱えられるまま懐ろの深みへと誘
いざなわれ、仔熊の冬籠もりよろしく、すっぽり掻い込まれちゃったりするセナくんだったり、そんなセナくんを腕と胸とで囲い込み、抱き枕みたいにしちゃって…判りにくいかもですけれど彼なりに悦に入る、そんな進さんだったりしと。ツララの意味も、どこかでさえずるウグイスの初音も、そういった間近い春の兆したちも…ある意味で何のそのと放ったらかして。寒い中をぬくぬくと過ごす方策の開発には余念が無さそうな、そんなお二人であるようです。いやはや まったりと(?)御馳走様でしたvv




  〜Fine〜  06.2.26.〜2.27.

  *前作では今更のように恥じらっとった人たちですが、
   さすがに平生は、臆面もなくいちゃいちゃするのには馴染んだ模様です。
   この上は、寄り切りで押し倒してうっちゃる合わせ技を、
   進さんが体得するのみでしょうね。(こらこら、何の話だ。)

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